ラブライブ!スーパースター!!第十一話「もう一度、あの場所で」感想 ~信じることが大事だと、自分に言い聞かせたら~

皆様、こんにちは。
「アニメニジガク」二期において「もしかしたら、毎話、新規楽曲がくるのでは……?」という可能性に思い至りましたが、進捗いかがですか。


だって、各メンバのソロ曲×12+全体曲でちょうど13曲ですからね。1クールでやるにはぴったりじゃないですか。
まあ、あまりこの件に関して花京院の魂を賭ける気持ちにはなりませんけど。


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そして、現在「にじよんシーズン4」に栞子が出ているわけですが、シーズン5以降でランジュとミアも出ることになるのでしょうかね。その辺も気になるところなのです。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『ラブライブ!スーパースター!!』第十一話」からの引用です。



私……、歌えるのかな

見事、「ラブライブ!」地区予選を突破し、東京大会へと進出したLiella!。
そんな彼女たちのもとに、ある依頼が舞い込んできました。

理事長「来てもらったのは、これが来たからです」

それは、かのん・千砂都の母校である小学校からのライブ依頼でした。凱旋ライブですね、わかります。
ふたつ返事で承諾するLiella!ですが、かのんはひとりだけ、どこか微妙な表情をしていました。それもそのはず。彼女にとって「あの場所」は、「敗北」のはじまりとも言える場所だったのですから。


その後、千砂都経由でかのんの「敗北」について知ったLiella!メンバの提案で、かのんはライブ会場の下見に訪れました。
「あの場所」に再び立ち、もう一度歌おうとするかのん。一瞬だけ声をつまらせるも、仲間たちの後押しを受けて、かのんは素晴らしい歌声をステージいっぱいに響かせます。
たったひとりで歌った、あのときとは違う。今のかのんには、頼もしい仲間がいる。隣に立ち、同じ目標に向かって歩んでいく仲間がいる。

これなら、もう大丈夫。

かのんは、そしてLiella!メンバはそう思ったのかもしれません。わたしも、そう思っていました。
……そう思っていたのですが。

歌わなきゃ、「ひとり」で

小学校ライブに向けての下見も終わり、練習に励むLiella!。そこに「ラブライブ!」東京大会の課題が発表されたとの知らせが届きました。

シブヤレポーター「東京大会の課題はこちらっ!」

この課題を聞いた瞬間、可可たち、そしてわたしたちは思ったことでしょう。「これならば、かのんの独壇場だ」と。「スーパースター!!」のストーリーにおいて、圧倒的な歌唱力の持ち主として語られるかのん。唯一の懸念事項であった「敗北」の過去も、今までのストーリーや今回のAパートでの様子を見る限り、ちゃんと克服できている様子。もう、今の彼女なら大丈夫。

しかし、そうは思わなかった人物もいました。

千砂都「うん。かのんちゃんが歌えているのは、みんなと一緒だからだと思う」

幼いときからずっと一緒で、一番近くでかのんのことを見てきた千砂都だからこそ、わかることもあるようです。
今まで「ひとりじゃないから」こそ歌えていたかのん。スクールアイドルになってから、ステージで歌うときはいつだって「みんな」がそばにいて、一緒に歌ってきた。そして、その事実が彼女の背中を押していました。しかし、東京大会での課題である「独唱」はそうもいきません。「みんな」がそばにいてもその力を借りることは出来ず、たった「ひとり(独り)」で歌わなければならない。皮肉なことに、かのんがはじめての「敗北」を経験した、「あの場所」でのシチュエーションとよく似ているのです。


可可は言います。「仲間がいるから歌えるって、素敵なことだと思います」と。「仲間がいるから」ということに限らず、「誰かのため」を想い「誰かのため」に歌えるということについては、かのんの美徳と言えるでしょう。

しかし、今の澁谷かのんは「スクールアイドル」なのです。

そして、なぜスクールアイドルは「自らのステージを、自らの手でイチから作り上げる」のでしょうか。それは「自分たちの気持ちや思いを伝えるため」ではないでしょうか。自分たちで作り上げた歌や振付を、自分たちの言葉として昇華させることで、自分たちの気持ちや思いを伝える。そのために、スクールアイドルはステージに立つのでしょう。

ラブライブ!スーパースター!!第五話「パッションアイランド」感想 ~いつも笑い絶やさないあの子も~ - メガネ(裏)

ここで挙げたセルフ引用は「グループとしてのスクールアイドル」について語ったものという部分が大きいのですが、同じことは「個人としてのスクールアイドル」についても言えると思うんですよね。
そして「自分たちの気持ちや思い」ならぬ「自分の気持ちや思い」を伝えるためには、「ひとり」(=「自分自身」)と向き合う必要があるのでしょう。

そのきっかけは「あの場所」でのライブ依頼、そして「ラブライブ!」東京大会の課題である「独唱」なのは確かです。しかし、それはあくまでもきっかけにしか過ぎません。
かのんが「スクールアイドル」としてさらなる一歩を踏み出すためには、「ひとり」と向き合うことは避けて通れない道なのです。

再構築される「ひとりじゃないから」の意味

「みんな」と一緒に歌い続ける限り、かのんが「ひとり」で歌うことに対しての不安は消えないのではないか。
そう考えた千砂都たちの計らいで、かのんは「Liella!」としてではなく「澁谷かのん」として、ひとりで「あの場所」でのライブに挑むことになりました。


ライブ当日。
ステージ裏でスタンバイするかのんは、ケータイを手に取ります。発信先は千砂都。それは胸の内に佇む不安からくる行動だったのかもしれません。

かのん「私、みんながいたから歌えてた。それでいいと思っていた。でも、それじゃダメなんだよね」

かのんは静かに語ります。
彼女も、本当は気付いていたのでしょう。スクールアイドルとしてさらなる一歩を踏み出すためには、「ひとり」と向き合わなければならないということに。
そんなかのんに対して、千砂都は告げます。

千砂都「いるはずだよ、あの頃のかのんちゃんが」

その言葉がトリガーとなったのでしょうか。かのんは、かつての自分自身を幻視するのです。キラキラした笑顔で仲間たちを励ます、かつての自分自身を。そして突然襲いかかる不安と恐怖で立ちすくむ、かつての自分自身を。


その不安と恐怖は、何か理由があってやってきたものではないのかもしれない。しかし、そうだとしても、その恐怖はまるで悪魔の囁きのようにかのんの心に入り込み、そして牙を剥く。

だけど、それでも。

歌うことが楽しくて。歌うことが大好きで。
たとえ、理由のない恐怖に襲われる未来が待っていたとしても。その恐怖が「敗北」を引き起こすことになったとしても。その「敗北」に、長い間苦しめられることになったとしても。
そうだとしても、「楽しい」も「大好き」も、確かに私の胸の中にあったんだ。そして、その気持ちは今でも私の胸の中に刻まれているんだ。


かのんが幻視したそのヴィジョンは、かつての自分自身から届けられた、時空を超えたメッセージだったのかもしれないと、わたしは思うのです。

かのん「大丈夫。大好きなんでしょ?」

かのんは、かつての自分自身に語りかけます。まるで、あの日から胸の中に秘められていた「楽しい」と「大好き」を、かつての自分自身に返してあげるかのように。

その行動は、過去の「敗北」を乗り越えるためでも、受け入れるためでもありません。たとえ「敗北」という過酷な運命が待ち受けていようとも、その心には確かに「楽しい」や「大好き」といったキラキラと輝く気持ちがあったのだと、もう一度確めること。それこそが、この行動に込められた意味なのだと思うのです。
「『楽しい』や『大好き』を胸に刻んで、笑顔で歩んでいける自分自身」も「理由のない恐怖に震え、立ちすくんでしまう自分自身」も、すべて「自分自身」として受け止めること。それこそが、かのんにとっての「『ひとり』と向き合うこと」であったのだと、わたしには感じられたのです。

隣には、共に歩んでくれる仲間がいる。そして、それだけじゃない。応援してくれるみんなの声援が、私の背中を押してくれる。
私は、ひとりじゃない。

ラブライブ!スーパースター!!第三話「クーカー」感想 ~ひとりじゃないから、あきらめないで~ - メガネ(裏)

私は、ひとりじゃない。一緒に夢に向かって歩んでいく仲間がいるから。
私は、ひとりじゃない。夢に向かって歩んでいく私たちを応援してくれるみんながいるから。
でも、今はそれだけじゃない。夢に向かって歩んでいくための原動力である「楽しい」や「大好き」をくれた、かつての自分自身がいるから。だから、私はもう、ひとりじゃない。

ステージへ向かうかのんの足取りには迷いはなく、その表情には不安も恐怖もありませんでした。

どこまでも広がれ、「私」のSymphony

「ひとりじゃない」澁谷かのんが、ひとりで立つステージ。そこで披露されるのは「私のSymphony」。わたしたちにとっては「始まりは君の空」リリースイベントでのパフォーマンスが印象深い曲ですね。
その詞は、スクールアイドルとして歩んできたかのんの軌跡と、まるで奇跡のように重なり合い、歌となってステージいっぱいに響きます。


考えてみると、1stシングル「始まりは君の空」に収録されている四曲の中で、最初から最後まで「私」のことを歌い上げている曲は「私のSymphony」だけなんですよね。そういう意味では、「私を叶える物語」を象徴するような一曲なのではないかなと思う部分があります。


そして、「私のSymphony」には、本編で披露されなかった歌詞の中に次のようなフレーズがあります。

右手の小指と左手の小指をむすんで
自分に約束しよう
今日の気持ちずっと忘れないよ

『私のSymphony』/作詞:宮嶋淳子/作曲:高木誠司、高慶"CO-K"卓史/編曲:高慶"CO-K"卓史/弦管編曲:兼松 衆/歌:Liella!


「かつての自分自身から『楽しい』や『大好き』を受け取る」こと、そして「かつての自分自身に『楽しい』や『大好き』を返してあげる」ことは、もしかしたら「自分に約束」することでもあったのかもしれないと、わたしは思うんですよね。
今日受け取った気持ちを忘れなければ、これからも笑顔で歩んでいける。かのんの中で目覚めたのは、きっとこんな気持ちだったのではないのかなと感じるのです。

「あの場所」に響き渡る「私のSymphony」は、かのんが紡ぐ「私を叶える物語」が新たなスタートを迎えたことを告げるファンファーレなのかもしれません。

こぼれ話

呼びかけよう名前を、素晴らしい名前を

千砂都「私は……、『嵐 千砂都』は信じてる。『澁谷かのん』を!」

ここはやはり、「私」・「かのんちゃん」ではなく、あえて「嵐 千砂都」・「澁谷かのん」と呼んだのが重要なポイントなのかなと感じる部分があります。「アニメニジガク」第八話での「『私』は『桜坂しずく』のこと、大好きだから!」というかすみのセリフに通ずるところもありますよね。

かつて、あるひとは歌いました。「名前、それは燃える生命(いのち)」と。名前とは、ただ単に自他を識別するための符号ではなく、その存在に確固たるパーソナリティを確立させるための、重要なファクタなのです。

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第九話感想でも話題に挙げたように、「スーパースター!!」では「名前とは、ただ単に自他を識別するための符号ではな」いということについて、「無印」や「サンシャイン!!」よりも意識的に描写しているのかなと思う部分があります。第三話での「可可⇒かのん」の「『名前の呼び方』が変わるイベント」が明示的に描写されたり、第九話でまるまる一話使ってグループ名決定の過程を描いていたり。第十話において、可可がはじめてすみれの名前を呼ぶシーンも、まさしくそれなんですよね。

「無条件の信頼」が唐 可可でやってくる

可可「そうですよ! かのんは可可とステージに立って歌いマシタ! あのときから、一度だって歌えなくなったことはありません!」

今までのストーリーにおいてもそうだったんですけど、可可はかのんに対して無条件かつ無限大の信頼を寄せているようなところがありますよね。
今回のエピソードにおいて「信じてるけど、やはり心配」な気持ちが見え隠れしていた千砂都とは対照的だなという気持ちがあります。

可可にとって、かのんとの出会いは「先導者」であるSunny Passionとの出会いと同じくらい、もしかしたらそれ以上に大きなものであったのかもしれません。かのんと出会えたからこそ、スクールアイドルとしての「私」が、新しい「私」がはじまるのだから。

ラブライブ!スーパースター!!第三話「クーカー」感想 ~ひとりじゃないから、あきらめないで~ - メガネ(裏)

そして、その信頼は「かのんと出会えたからこそ、スクールアイドルになることが出来た」という恩義に由来する部分が大きいのかなと思うのですが、それはそれ、これはこれ。

今回のここ好きポイント

すみれ「私も、どうしても家族が神社を手伝えって……」

かのんをひとりでライブさせるために、Liella!メンバが一芝居打つシーン。
可可や恋がふんわりとした言い訳をする一方で、しっかりとした理由を用意しているすみれ。「さすが、アドリブに定評がある平安名すみれだ……」となるんですよね(もしかしたら、あらかじめ考えておいたのかもしれませんけど)

今回のここ好きポイント その2

可可とすみれ、ドヤ顔までおんなじね。




ラブライブ!スーパースター!!」も、次回でついに最終回。
物語の終わりというものは、いつだって「楽しみな気持ち」と「寂しい気持ち」が入り交じるような、不思議な気持ちにさせてくれるんですよね。

かのんたちの「私を叶える物語」は、いかなる結末を迎えるのでしょうか。