幻日のヨハネ 第十三話「そして今日も」感想 ~新たなる「先導者」、新たなる「輝き」~

皆様、こんにちは。
秋分も過ぎ、地平線の向こうへと足早に沈みゆく夕日に秋の訪れを感じる今日この頃ですが、進捗いかがですか。


そんなに「ラブライブ!」が好きになったのか、フジテレビ(もう何回目なのか覚えてない)
Aqoursも出演経験があることだし、そのうちLiella!も出演するだろうという予測はあったのですが、想像していたよりも待たされたなと感じたところはあります。「満を持して」という言葉も頭をよぎる。
そして、十一人での堂々としたパフォーマンスは、お見事の一言。この勢いのままにメディア露出が増えていってくれれば、ファンとして嬉しい限りなんですよね。


それはそれとして、「幻日のヨハネ」のストーリーがついに最終回を迎えるのです。何もかもが未知でありながら、どこかに不思議な馴染み深さを感じる世界で日々を精一杯駆け抜ける少女たち。彼女たちが奏でる「物語」は、いかなる結末へと導かれるのでしょうか。
さあ、「みんなが知ってるあの子の、みんなが知らない物語」を、最後の瞬間までもっともっと追いかけてみようではありませんか。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『幻日のヨハネ』第十三話」からの引用です。


「先導者」、ここにあり

かつての「先導者」は言いました。「一番大切なのは出来るかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ!」と。

ヨハネ「私、『歌いたい』って気持ちに嘘をついてた。『私が歌わなきゃ』って、そう思わなきゃダメなんだと思ってた。でも、違った」

ヨハネ「もしかしたら、またダメかもしれない……。でも……! 私の歌で、みんなを、この街を守りたい!」

仲間たちの力を借りて、ヌマヅをまるごと覆い尽くすまでに強大化した「異変」に立ち向かうヨハネ。わたしがそこに見たのは、「みんなのために頑張らなければならない」・「みんなの期待に応えなければならない」という「義務」や「責務」、「使命」から解放され、「みんなのために頑張ることが、自分がやりたいことなんだ」という確信と決意に満ち溢れた「先導者」の姿でした。
「自分には『異変』に対抗するための特別な力があるのだから、自分が率先して『異変』に立ち向かわなければならない」・「自分はみんなに期待されているのだから、自分はその期待に応えなくてはならない」。第十話でも垣間見えたように、これまでの(特に「異変」に対する)ヨハネの行動には、そのような「義務感」や「使命感」がベースとして存在していたように思います。「義務感」・「使命感」が行動のためのモチベーションになることだって、もちろんあるでしょう。しかし、度を越した「義務感」・「使命感」はプレッシャーとなり、ひとの心を押しつぶすことだってあるのです。思い返せば、第十一話にてヨハネの心を圧し折ったのは、このような「義務感」・「使命感」からくる重圧もあったのではと感じられるところもあります。
しかし、ヨハネは再び立ち上がりました。仲間たちの暖かさと優しさに満ち溢れた言葉がヨハネの手を取り、ライラプスの声にならなくとも力強くたくましい言葉がヨハネの背中を押します。そして、「たとえ特別な力があったとしても、たったひとりで『異変』に立ち向かわなくてもいいんだ」・「困ったときだって、みんながそばにいるんだよ」という彼女たちのメッセージによって、ヨハネは「義務感」・「使命感」から解放され、「ラブライブ!」シリーズの根幹のひとつでもある「やりたいと思う気持ちこそが一番大事」という想いと向き合うことが出来たのです。
「やりたいと思う気持ちこそが一番大事」という想いを取り戻し、その想いを胸に宿して立ち上がるヨハネ。そんな彼女の「歌いたい」・「守りたい」というプリミティブな願いがあったからこそ、みんなの「心の音」はひとつになって、強大な「異変」を討ち倒すことが出来たのでしょう。そして、それを成し遂げた彼女の姿はまさしく「先導者」と呼ぶにふさわしいものであったと、わたしには思えてくるのです。

今日を歩んだその先に

ヨハネ「……と言うわけで、お母さんからの宿題はまだ考え中。他に何か見つかるかもしれないしね、『自分にしか出来ない楽しくてたまらないこと』が」

正直な話をすると、ファーストインプレッションとして「そこ、ブン投げていいんだ?!」という気持ちが出てきたところはあります。「自分にしか出来ない楽しくてたまらないことを見つける」という「宿題」は、このストーリーの縦軸として最重要項目だと思っていたので、良くも悪くも驚きが出てくるんですよね。「宿題達成を先送りにすることで、あわよくば続編を作ろうと画策していらっしゃる……?」という邪推が出てきたところまである。「『自分にしか出来ない楽しくてたまらないこと』を探し求める過程で、ヨハネが何を得ていくのか」こそが重要なのだと言われれば、確かにその通りなのですが……。
しかしながら、この後に続く「結局、明日なんてまだ誰もわからないんだから」というヨハネの言葉が、これまた「ラブライブ!」シリーズの根幹のひとつをなすマインドであるところの「だってだって、いまが最高!」に繋がるのだと考えれば、不思議と納得感も出てくるのです。「『イマ』が最高」であるために日々を精一杯走り抜いて、この瞬間を目一杯輝く。「最高の『イマ』」を追い求め、駆け抜けたその先に「自分にしか出来ない楽しくてたまらないこと」が見つかるのだと、ヨハネは信じているのでしょう。

だからこそ、この「物語」を締めくくる言葉は「今日も、今日を生きる」なのだと、わたしには感じられるのです。

こぼれ話

「繋がり」の到達点

仲間たちの「心の音」を結集した歌さえも跳ね除け、なおも猛威を振るう「異変」を前にして、またしても心が折れかけるヨハネ。そんな彼女を立ち上がらせたのは、仲間たちの声援とライラプスの声なき激励。「縁」や「絆」といった、ひととひととの「繋がり」を一貫して描き続けてきたこの「物語」らしさに満ち溢れていると感じられるところです。
さらに言うなら、ヨハネが「やりたいと思う気持ちこそが一番大事」という想いと向き合うことが出来たのも、そして、みんなの「心の音」をひとつにして「異変」を打ち破ることが出来たのも、ひととひととの「繋がり」の賜物であるように、わたしには思えてくるんですよね。

ハイファンタジーってなんだっけ

第三話でのトンチキ・オンパレードほどではないにせよ、「スーツに作業着」はハイファンタジーでお出しする絵面としてはなかなかのトンチキであるように思えてならない。狙ってやってるのだとしたら、大したものである。
結果的に「『幻日のヨハネ』の『物語』そのものが、ハイファンタジーとして期待していた世界観とは少しばかりズレていたな……」という気持ちがどうしても出てくるところはあるのですが、それはそれ、これはこれ。

ラブライブ!」における「ラブライブ!」のようなものだし

マリ「……世界は歌によってバランスを保っていました。ところが長い年月が経つうちに、人々は歌を忘れ、大変なことになりました」

「『異変』はなぜ発生したのか」・「ヨハネの『魔法』の力とは何なのか」・「『心の音』とは何なのか」といった「謎」に対する解答については、マリによる推測や抽象的な語りによる説明に終始していた印象で、個人的には納得感が薄めだったかなという気持ちはあります。その一方で、彼女たちの立場からしてみればこれらの「謎」について分かることなんてたかが知れているわけですし、「謎」の解明がこの「物語」の最重要縦軸というわけでもないので、そこは致し方なしとしたところではあるんですよね。

今回のここ好きポイント

カナン「力仕事だったら任せてよ!」

ヨウのが言うところの「いつだって力になる!」を踏まえた言葉なのかもしれないが、「力になる」ってそういう意味じゃないと思う。




街のみんなと「縁」を結び、仲間たちとの「絆」を繋ぐ。ひととひととの「繋がり」を色鮮やかに描写してきた「幻日のヨハネ」。それはきっと、沼津のみんなに支えられながら歩んできた「サンシャイン!!」の系譜を継ぐ「物語」であったからこそなのでしょう。 あのまぶしい陽光によく似ていて、それでいながら全く新しい「輝き」が、確かにそこにあった。わたしには、そのように思えてくるのです。
そして、「にじよん あにめーしょん」に続いて「ラブライブ!」シリーズが持っている可能性をさらに広げてくれたのが、この「物語」であったのだと感じさせてくれたところもあります。「みんなが知ってるあの子の、みんなが知らない物語」も、わたしたちが知っている「ラブライブ!」でした。これからの「ラブライブ!」も、ますます楽しみになってくるんですよね。

最後に、「みんなが知ってるあの子」たちに再び出会わせてくれたスタッフ・キャストの皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございました。

さあ、次は「巨大人型ロボットを主軸にしたSFもの」スピンオフだ!