幻日のヨハネ 第五話「まおうのひみつ」感想 ~結んだ「縁」を、次のあなたに~

皆様、こんにちは。
あまりの暑さに台風が日本へ上陸出来ないという噂も聞こえてくる今日この頃ですが、進捗いかがですか。


五曲パフォーマンス+コーレス披露というのはだいぶ破格の待遇なのでは。そして、「ビタミンSUMMER!」も定番曲になってきたなという気持ちも出てくるんですよね(「FNS歌謡祭」や「超次元音楽祭」でも披露されていましたよね)。個人的にはちょっと意外に思うところもあるのですが、わかりやすく盛り上がれる曲だから使いやすいのかしら。
それはそれとして、「伊達さゆり=すずめ」ネタが中国でも知れ渡っているという事実には思わず目ン玉をひん剥いてしまうのです。日本でもそこまでメジャーなネタじゃないように思うのですが、はてさて。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『幻日のヨハネ』第五話」からの引用です。



「先導者」よ、「縁」を胸に抱いて進め

「他人と違うこと」に怯え、外の世界へ一歩を踏み出せないマリ。そんな彼女にかつての自分自身を重ね合わせたヨハネは、「他人と関わることは怖くないよ」・「外の世界だって楽しいよ」とマリに伝えるために奮闘するのです。


「マリのために何か出来ないだろうか」・「マリのために何かしてあげたい」と、今まで以上に積極的・能動的に行動を起こし、そして彼女と「縁」を結ぶ。今回のエピソードにおいては、そんなヨハネの姿が印象的でした。

これまで数多くのひとたちと「縁」を結んできたヨハネ。しかし、このタイミングで思い返してみると、その「縁」が結ばれるまでの過程はどれも成り行き任せで受動的な側面が強かったように思われます(ハナマルに連れられて引き合わされたり、「おしごと」をするうえで関わることになったり……)
しかし、今回のヨハネは違うのです。出会いのきっかけこそチカの母からもたらされたものではありますが、「マリのために」と奮闘するヨハネの行動は、けして成り行きによるものではなく、徹頭徹尾、彼女自身の意志でなされたものであるように、わたしには感じられます。
ヨハネが今まで以上に積極的な行動を起こしたのは、他人との違いに怯えて「自分自身」や「外の世界」を決めつけるマリにシンパシーを感じたからであることは言うまでもないでしょう。しかし、それ以上にヨハネを突き動かしたのはこれまでに結ばれてきた「縁」によるものであるように、わたしには思えてくるのです。

ヨハネ「私もそう思ってた、ひとりだって……。でも、友達が出来たら、楽しいことがもっと楽しくなって、嬉しいことがもっと嬉しくなったの」

そして、ヨハネの表情に見える「前向きな気持ち」は、彼女が「おしごと」を通して感じた「繋がり」=「縁」と無関係ではないように、わたしには思えてきます。

幻日のヨハネ 第四話「空と海のあいだ」感想 ~胸いっぱいの「ただいま」を~ - メガネ(裏)

かつて不本意な帰郷を果たしたヨハネは「こんな何もない街のことなんてどうでもいい」・「こんな小さな街のことなんて私には関係ない」と嘯き、彼女自身を取り巻く状況との関わりを拒絶して目を背けようとしていました。しかし、様々なひとと出会い「縁」を結ぶことによって、ヨハネの心にはいつしか「前向きな気持ち」が芽生えたのです。今までは好ましく思えなかった故郷・ヌマヅに対して、心からの「ただいま」と「これからもよろしくね」を叫べるほどの「前向きな気持ち」が。
そんな彼女が、かつての自分自身とそっくりな存在と出会ったとき、「『縁』によってひとは変わることが出来るんだよ」と伝えようとするのは、なんら不思議なことではないように、わたしには感じられるのです。

ダイヤ「それにヨハネさんなら、マリさんの心を開いてあげられるかもしれませんね」
ヨハネ「そう、ですか……?」

ルビィ「マリさんは、街のことを想ってるいいひとだもん。ヨハネちゃんの気持ちも伝わるよって、伝えたくって」
ヨハネ「ありがと、ルビィ!」

ヨハネ「私、もう少し頑張ってみる!」
ヨウ「うんうん、その調子!」
カナン「ワーシマー島、今度みんなで遊びに行きたいね」
ヨハネ「うん、伝えておくね!」

そして、「マリのために何かしてあげたい」というヨハネの背中を後押ししたのも、今まで出会ってきた仲間たちの言葉。結ばれてきた「縁」が、一歩を踏み出すための勇気をヨハネに与えてくれたということなんですよね。

そして、恐れを乗り越えようと歩みはじめたマリに寄り添い、手を繋ぎ、一緒に一歩を踏み出してマリのために道を指し示すヨハネ。そんな彼女の姿はまさしく「先導者」と呼ぶにふさわしいと、わたしは感じるのです。

これからのストーリーにおいて、「先導者」としてのヨハネのさらなる活躍に、期待が高鳴るところです。

それはきっと「魔法」のコトバ

ヨハネ「マリ、今、私も目を瞑ったよ。『せーの』で開けてみない? そしたら、世界が変わってる。……はず」

「他人の視線への恐れ」に再び直面し、その場から動けなくなってしまうマリ。そんな彼女に対して、ヨハネは優しく語りかけます。

ヨハネの言葉を聞いたとき、わたしは思いました。
「ああ、これは『魔法のコトバ』だ」と。

瘴気に囚われ暴走するシカを目の前にして「放っておけない!」と啖呵を切ったあのときのように、誰かのためを想うヨハネの気持ちには「魔法」のようなチカラが宿るのでしょう。
そのチカラがチカやダイヤに与えたような神秘的で不可思議な効力を発揮しなかったとしても、その言葉が誰かの心に一歩を踏み出す勇気を与えるのだとしたら。その心に「前向きな気持ち」を生み出すことが出来るのだとしたら。それもまた、本物の「魔法」であると言っても過言ではない。わたしには、そのように感じられるのです。

こぼれ話

いきなり勇気が沸く日もあるが、いきなり強くはなれません

ヨハネ「みんなのこと、上手く伝えられなかった。自分のことばっかりで、話すのもヘタクソな私には……」

第四話においてカナンと上手くコミュニケーションが取れなかったヨハネが、後からやってきたライラプスに思わず抱きついてしまったときもそうだったんですけど、「前向きな気持ち」が芽生えたからといってなんでも上手くいくようになるとは限らないんですよね。
しかしながら「行動しようとする意思」はけして無駄ではなかったというのは、この後の展開を観れば疑いの余地はなくなることでしょう。こういうところにおいては、真摯な「物語」だなと感じられてくるのです。

わたしの実家では平成ひとケタ年代まで現役だった

ヨハネ「はあ……。もう百回は叩いてる気が……」

右斜め四十五度から叩いて直るのは昭和の家電だぞとツッコミそうになったが、お出しされたのが二槽式洗濯機だったので、すんでのところでツッコミを思いとどまった。妙なところで描写の説得力を上げないでほしいという気持ちは出てこないでもない。

この世界の渡辺の血筋、みんなこうなのだろうか

ツキ「あ、そうだ。ヨハネちゃん、今、時間ある?」
ヨハネ「えっ?」
ツキ「ちょっとお願いがあるんだよねえ」

ツキ「ねえ、マリちゃん? もうひとりモデルがいてくれると、助かるんだよねえ」

何の前フリもなくツキが登場したのには驚きが出てくるわけですが、それはそれとして、ヨハネやマリを写真のモデルに起用するときの手付きは、ヨウがヨハネに「おしごと」を手伝わせたときと同じムーブを感じさせられる。そんなところで血の繋がりを実感させられるとは考えてもいなかった。

今回のここ好きポイント

ペラピー「きゅっ、きゅきゅきゅきゅ、きゅっきゅー!」
ヨハネ「マリが、呼んでる……?」

言葉、通じるんだ……。
ライラプスと会話出来るのはヨハネだけ」であることを匂わせる描写が見え隠れしていることから、これも何かしらの伏線であるように感じてしまうのは、わたしの考えすぎだろうか。




「縁」を結んだヨハネとマリに突然襲いかかる雷鳴と黒い瘴気。事態は急展開かと思いきや、次回予告の映像からは、今ひとつ緊迫感を感じられないような……?
その一方で「ひとみしりのハーモニー」というエピソードタイトルはなかなかシリアスな響きを持っており、何とも展開が読みきれないところなんですよね。

さあ、次回の展開や、いかに。




幻日のヨハネ 第四話「空と海のあいだ」感想 ~胸いっぱいの「ただいま」を~

皆様、こんにちは。
「暑い日が続きますが、進捗いかがですか。」のパターンがそろそろ尽きてきそうな今日この頃ですが、進捗いかがですか。


なんやかんや言って「ラブライブ!」のライブイベントが地方まで来てくれる機会は貴重なので、そりゃあ全力で乗っかりに行くでしょ、といったところはあるんですよね。
ライブパフォーマンスはどれも大変良かったのですが、特に「CHASE!」が素晴らしかったなという気持ちがあります。「優木せつ菜」としての存在感と納得感をこれでもかと言うほどに魅せつけるパフォーマンスは、まさに圧巻の一言。
また、「ダイアモンド」が観られたのも嬉しかったところ。やはり、かすみんと言えば「ダイアモンド」なんだよ!


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『幻日のヨハネ』第四話」からの引用です。



前を向いて、新たな一歩を

メッセンジャーのヨウと、メカニックのカナン。ふたりの少女と出会ったヨハネは、成り行きで彼女たちの「おしごと」を手伝うことになりました。常にハイテンションなヨウや文字通りの「空を飛ぶ」体験、慣れないブランコ修理に戸惑いながらも「おしごと」の手伝いをするヨハネ。そんな彼女の表情からは、ヌマヅに戻ってきたばかりの頃にはなかった「前向きな気持ち」が見えてくるように、わたしには思えるのです。

ヨハネ「すっごーい! あはははっ!」

だってもう、見て下さいよ。空を飛んでいるときの、このワクワクに満ち溢れた表情を。

この他にも、道を行くひとに手を振ってみたり、ハナマルに大声で呼びかけてみたりと、第一話の頃からは想像もつかないような言動が数多く見られます。そもそも、ヌマヅに戻ってきたばかりのヨハネだったら、今日出会ったばかりのひとの「おしごと」を手伝おうだなんて考えもしなかったんじゃないのだろうか。「こんな何もない街のことなんてどうでもいい」・「こんな小さな街のことなんて私には関係ない」と、様々なことから目を背けていた彼女だったら。
以前までのヨハネからは考えもつかないようなこれらの言動は、彼女の心に芽生えたであろう「前向きな気持ち」が果たしたムーブであるように、わたしには思えてくるんですよね。そして、この「前向きな気持ち」はヨハネが今まで見向きもしなかったヌマヅの美しい自然や景色に目を向けさせ、素直な感動をもたらすことにも繋がっているんだろうな、と感じさせるところもあります。

カナン「ヨハネちゃん、モノを直すコツ、教えてあげようか?」

「前向きな気持ち」という観点から観てみると、「まず、顔を上げる」からはじまるカナンのアドバイスも示唆的なものを感じさせられます。
顔を上げて「前を向く」こと。それはすなわち、より良い未来を見据えて想像すること。より良い未来を想像することが出来れば、それは行動を起こすためのモチベーションになりうるし、進むべき道筋もはっきりしてくる。カナンが伝えたいことって、つまりはこういうことなのではないかなと、わたしには思えてくるのです。
そしてこのアドバイスは、ヨハネが母親から与えられた「夏が終わる前に、ヨハネにしか出来ない楽しくてたまらないことを見つける」という「宿題」を達成することにも繋がるという予感がしてくるんですよね。

ヨハネ「この街にはいろんなひとがいて、いろんな仕事があって、その仕事の先には誰かが待ってくれていていたりして。みんな、繋がっているんだね」

そして、ヨハネの表情に見える「前向きな気持ち」は、彼女が「おしごと」を通して感じた「繋がり」=「縁」と無関係ではないように、わたしには思えてきます。

ヨハネが配達したお手紙や三人一緒に乗れるように修理されたブランコによって、誰かと誰かの「縁」が結ばれる。
お手紙の配達やブランコの修理といった「おしごと」を通じて、ヨハネと街の人々との「縁」が結ばれる。
そして、一緒に「おしごと」をすることで、ヨハネとヨウ・カナン・ハナマルとの「縁」が結ばれる。

かつてのヨハネは「ヌマヅには居場所がない」と感じていました。しかし、今では違います。結んできた「縁」が、彼女の居場所を作り上げるのです。ヨハネもそのことに気づいたからこそ、晴れやかな表情で叫んだのでしょう。今まで言うことが出来なかった、故郷・ヌマヅへの「ただいま」と「これからもよろしくね」を。


かつて、俯きながらブランコを漕いでいた、ひとりぼっちの少女はもうそこにはいません。
数多の「縁」に導かれ、ヨハネはまっすぐ前を向いて、ここに新たな一歩を踏み出すのです。

「大好き」は伝播する

ヨウ「だからずーっと、この街にいたーい!」

カナン「仕事終わりに、海でぷかぷかしてアレを見てたら、疲れが吹っ飛んじゃう」

今回のエピソードにおいて、ヨハネが出会ったふたりの少女の共通点。そのうちのひとつが「ヌマヅが大好きだと、なんのてらいもなく言えること」なのではないでしょうか。
ふたりが伝える溢れんばかりの「大好き」が、ヨハネの心に「前向きな気持ち」を伴った変化をもたらし、故郷への「ただいま」と「これからもよろしくね」を引き出したであろうことは想像に難くないところです。そして、ヨハネがふたりの「大好き」を素直に感じ取ることが出来たのは、彼女の心に芽生えた「前向きな気持ち」があってこそのことなのだと、わたしには思えてくるのです。「前向きな気持ち」が「大好き」を受け止めるための土台を作り上げ、受け止めた「大好き」がさらなる「前向きな気持ち」を生み出す。言うなれば、「前向きな気持ち」と「大好き」のスパイラルなのです。

そして、「大好き」は「ラブライブ!」シリーズにおけるキーワードのひとつ。「大好き」をひとつの推進力とした今回のエピソードは、「幻日のヨハネ」も「ラブライブ!」シリーズの系譜に繋がる物語であるのだと、強く感じさせてくれるんですよね。


「みんなが知ってるあの子」たちの心に秘められ、そして解き放たれる「大好き」。それは「みんなが知らない物語」にどのような輝きと煌めき、そしてトキメキを与えてくれるのでしょうか。

こぼれ話

トンチキは続くよどこまでも

ヨウ「あそこから飛んで、配達するんだよ」
ヨハネ「ドドーンとひとっ飛びって、そういうことなの?!」

第三話でのトンチキ・オンパレードのせいでいささか霞んで見えるところはありますが、「郵便配達員を大砲でぶっ飛ばす」というのも大概トンチキではある。ハイファンタジー的なフレーバーは感じられるので、個人的には好みなタイプのトンチキではありますが。
それはそれとして、まさかヨハネまで空を飛ぶ羽目になるとは思っていなかったというところはあるんですよね。第二話での「私はね、例えば空をぴゅーって飛んじゃうみたいな、アメイジングなことがしたいのよ!」というセリフは、フラグだった……?

身に覚えがあるひとも多いのでは

ヨウ「しかし今日は暑いねー! 参っちゃったよー。これぜーんぶ、午前中に配達しなきゃならなくってさー」
ヨハネ「へえ……。大変だ、ね……」

「共通の知り合いがいなくなって、何となく気まずい」ふいんき(なぜか変換出来ない)。妙に描写の解像度が高いのは、一体何なんだ。

今回のここ好きポイント

ライラプスヨハネ、いつまで寝てんの」

身内ゆえの雑で容赦ない起こし方。
ライラプス、ホントそういうところある。

今回のここ好きポイント その2

周囲の安全確認は大事。「光景記」にもそう書かれている(書かれていない)




故郷・ヌマヅへの、心からの「ただいま」と「これからもよろしくね」を胸に、新たな一歩を踏み出すヨハネ。そんな彼女を待ち受けるのは、まさかの「まおうのひみつ」……?!

ヨハネが持つ魔法の力やヌマヅに起こる「異変」について何かを知っている様子だったり、ヨハネに対して思わせぶりな物言いをしてみたりと、現時点においては最も謎に満ちたキャラクタと言っても過言ではないマリ。

幻日のヨハネ 第三話「団結Are you ready?」感想 ~高低差ありすぎて耳キーンなるわ~ - メガネ(裏)

前回の感想でこんなことを書きましたが、ここまで早い段階で彼女の「謎」に触れてくるとは思いもしなかったというところがあるんですよね。これはさすがに予想外なんですよ。

また、今回のエピソードラストにてライラプスが呟いた「ごめんね、ヨハネ」というセリフも気になるところ。
はてさて、次回はどうなることやら。




幻日のヨハネ 第三話「団結Are you ready?」感想 ~高低差ありすぎて耳キーンなるわ~

皆様、こんにちは。
猛暑に猛雨でもう大変な日々が続く今日この頃ですが、進捗いかがですか。



www.youtube.com

「リエラジ」の冒頭ボイスドラマでもLiella!三期生が本格参戦してきましたが、ウィーンが一期生・二期生を「〇〇先輩」呼びするたびに、「こいつ、思っていたよりも上下関係はキッチリするんだな……」という気持ちが出てくるというところはあります。かのんのことは相変わらず「澁谷かのん!」呼ばわりしていそうな気もするのですが、それはそれ、これはこれ。
それはそれとして、他メンバが彼女のことを「マルガレーテ」呼びするたびに「『マルガレーテ』ってファミリーネームじゃないの……?」という疑問符が浮かんでくるんですよね。調べてみても、なかなかクリティカルな情報が出てこない。はてさて、どういうことなのやら。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『幻日のヨハネ』第三話」からの引用です。



トンチキよ、牙を剥け

www.youtube.com

OP映像で彼女たちの姿を見たときから、覚悟はしていたつもりでした。

……とは言ったものの、第一話・第二話では(あちこちに怪しい絵面はあれど)真面目なハイファンタジーが展開されていましたし、「聞いた話によると、『無印』や『サンシャイン!!』はアニメ版とコミック版とでストーリー展開が違うらしいからなあ……」・「『アニメニジガク』も、『スクスタ』とは全然違うストーリー展開だったしなあ……」という油断にも似た感情があったのもまた事実です。

チカ・シマ・ミト「ミリオンダラー、参上!」

そこに来たのが、このトンチキである。
よく考えればそりゃそうだ。OP映像に出ているなら、本編に出てきたってなんの不思議もない。むしろ、出てこないほうがおかしいというところまである。
まあ、二、三十歩ほど譲れば彼女たちの存在もハイファンタジー世界の住人として見ることが出来なくはないかもしれません。「オカリナの音色で荒ぶる動物を鎮める」というのも、なかなかいい感じにハイファンタジー的なフレーバーを与えてくれますしね。

ダイヤ「スカーレット・デルタ、出動!」

なぜトンチキを重ねてくるのだろうか。
まさか、(ミリオンダラーと同じようにOP映像に出ていたとは言え)同一エピソードで出てくるとは思ってもいなかったというところがあります。さすがに、こいつをハイファンタジー世界の住人としてお出ししてくるのにはツッコミのひとつやふたつも入れたくなろうというもの(まあ、わかりやすいツッコミ要素として配置しているであろうというのは容易に想像がつきますが)。「Unpolarized Reflexion」にも出てきてはいますが、あれについては「第一話からスマホや草刈り機が飛び出す世界観」・「ご都合主義的に何でも作り出せるヨハネの魔法」・「概ねコメディテイストで展開されるストーリー」といった「トンチキの下地」があってこそ、比較的すんなり受け入れられるといったところがありましたからね。これまでのストーリーで真面目なハイファンタジーをやってきたという流れでお出しされるとなると、その破壊力は比べ物にならないでしょう。


しかしながら、今回のエピソードのおかげで(第三話にしてようやく)「トンチキを楽しむ心構え」は出来たように思えてくるのです。これから何が来ようとも、ゲラゲラ笑って観られるはず。
さあ、今度はどんなトンチキが飛び出してきてくれるのでしょうか。

「シャイニー」は、何処へと

自身に発現した魔法の力について、チカの母親、もといビッグマムから「ワーシマー島の魔王なら、何か知っているかもしれないわね」という有力情報を得たヨハネライラプスとともにワーシマー島を訪れた彼女は、魔王と呼ばれし少女・マリと対面し……、

ヨハネ「魔王さーん、魔王さーん……!」
マリ「……失礼ね」
ヨハネ「っ!」
マリ「聞こえているわよ」

いや、誰だお前。
「サンシャイン!!」において、明るく破天荒なキャラクタ性を持っていた鞠莉とは大幅にかけ離れた、ダウナーで取っ付きにくそうな雰囲気。ヨハネやハナマルといった他キャラクタや、「光景記」・「Unpolarized Reflexion」におけるマリが「サンシャイン!!」でのキャラクタ性と概ね一致したインプレッションを見せていたのを考えると、そのかけ離れっぷりは際立っているように感じられます。

ヨハネ「えっ? そのツノも、服も髪型も、全部めちゃくちゃイケてるよ! 大丈夫だよ、マリ!」
マリ「……!」

いや、ホントに誰だお前。
いつから、そんなにあざといムーブが出来るようになったんだ。お父さんはお前をそんな娘に育てた覚えはないぞ。

それはそれとして、ヨハネとの会話からは「その外見や彼女に付き従う使い魔たちが原因で、周囲の人々から畏怖(あるいは、忌避)されてきた」という事情が推察されるのですが、それにしても、ここまでキャラクタ性が違ってくるのか……。本来は「サンシャイン!!」の鞠莉のように明るく破天荒なキャラクタだったという展開も大いに有り得るとは思われるのですが、今のところはその片鱗もほとんど見られませんし、はてさて。


ヨハネが持つ魔法の力やヌマヅに起こる「異変」について何かを知っている様子だったり、ヨハネに対して思わせぶりな物言いをしてみたりと、現時点においては最も謎に満ちたキャラクタと言っても過言ではないマリ。彼女は自分自身のことを「ちょっとヌマヅに詳しいだけ」と語りましたが、どうしてもそう思えないところはあるんですよね。はたして、彼女の胸中には一体何が潜んでいるのでしょうか。

こぼれ話

ラブライブ!」シリーズ、基本的にはエピソードタイトルの法則性がない件について

第一話・第二話とエピソードタイトルが平仮名のみだったので第三話以降もそうなのだろうかと思いきや、そんなことはなかった。

集いし絆の煌めきが新たな未来を描き出す。光さす道となれ!

これって、アレじゃん。「みんなとの絆を結ぶことで、真の力(仮)が解放される」的なアレじゃん。
それはそれとして、ここで言う「真の力(仮)」が、マリが語る「あなたなら、ヌマヅを救えるかもしれない……」に繋がってくるのかもしれないというのが、可能性として大いに有り得ると感じられるところはあるんですよね。

虎徹おじさんも思わず渋い顔

「ヒーローが人前で仮面外したりなんかすんな! ありえないぞ!」ってなってしまう。そもそも、ふたりとも正体をバラしたくなかったのと違うんか。

そもそも最近はビデオテープを見かけることがないのだが

チカ「うあっ、おか……、じゃなかった」
チカ・シマ・ミト「ビッグマム!」

「Unpolarized Reflexion」と同様に「このビデオテープは自動的に消滅します」をしてくるのではないかと、あらぬ疑いをかけてしまったところはある。

今回のここ好きポイント

ヨハネ「いや……、誰……?」

わかるよ、キミのその気持ち。そりゃツッコミたくもなろうというものよ。
さすがに、この直後にさらなるツッコミ要素が来ようとは、彼女も(そして、わたしたちも)思っていなかっただろうが。

今回のここ好きポイント その2

ビッグマムは下から生える。




大小様々なツッコミどころをお出ししつつ、新たな謎も散りばめてきた今回のエピソード。当初、予告PVから受けていたインプレッションからはだいぶかけ離れてきたストーリーになってきたなという気持ちがないと言えば嘘になりますが、先述したとおり、これを楽しむにあたっての新たな心構えは出来たかなというところはあるんですよね。
それはそれとして、次回のエピソードではこれまで出てこなかったふたりのキャラクタがついに登場しそうな気配。九人(と一匹)が織りなす「みんなが知らない物語」は、はたしてどのような展開を観せてくれるのでしょうか。




幻日のヨハネ 第二話「わたしのおしごと」感想 ~つまづく石も「縁」の端くれ~

皆様、こんにちは。
宇宙飛行士じゃないから、オゾンより下なら問題ありませんが、進捗いかがですか。


まさかの楽曲越境。「マジかよ!?」と、大声を上げてしまったところまである。
近似例では蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブによる「ラブライブ!」楽曲のカバーが記憶に新しいところではあるのですが、あれは「VTuberの歌ってみた動画」的な文脈があるわけだしなあ……。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像は注記がない限り「TVアニメ『幻日のヨハネ』第二話」からの引用です。



これでお前と「縁」が出来たな

切り株のステージにて魔法の杖を手に入れ、「自分には特別な力がある」と確信したヨハネ。彼女はその力をアテにして占い屋という「おしごと」をはじめますが、お客は報酬も払えない子供たちと閑古鳥だけ。そんな中、ヨハネは成り行きでハナマルの「おしごと」を見学することになりました。ハナマルの働きぶりと(それに見合わないように思える)利益の少なさを目の当たりにしたヨハネは、「あんなに売って、それっぽっち?!」と思わず驚きの声を上げてしまいます。そんな彼女に対して、ハナマルは静かに告げました。

「『おしごと』は、お金だけじゃあないずらよ」と。


「おしごと」によって得られるものはお金だけじゃない。それでは、他に得られるものは一体何なのか。
それは「縁」であると、わたしは思うのです。

今回のエピソード後半においては、ヨハネが「おしごと」を通じて街の人々と交流する様子が描かれています。第一話にて、ライラプスからご近所への挨拶回りを提案された際には「挨拶回りなんて田舎臭い。ゼッタイにイヤ」と拒否反応を示していた彼女からは、(とてもとは言わないまでも)想像も出来ないような光景です。
そして、彼女がこなす「おしごと」は子供たちのボール探し、荷物運びの手伝い、庭木の剪定、エトセトラ、エトセトラ……。その働きぶりは、ヨハネ自身が語る通り「占い屋」というより「何でも屋」といった趣(おもむき)があり、本来であればそれは彼女が望んだものではなかったはず。しかし、ヨハネの表情からは不服や不平不満の類ではなく、むしろ達成感や充実感が読み取れるように思えてきます。

もしかすると、ヨハネも心の奥底で「縁」を求めていたのかもしれない。わたしには、そのように感じられてくるのです。第一話において、事あるごとに「この街には友達なんていない」と嘯いていたり、切り株のステージにて「居場所なんかどこにもなくて……」と独白していたのは、そんな願いの裏返しだったのではないでしょうか。さらに言うなら、チカやダイヤの働きぶりを目の当たりにしたヨハネは「毎日知らないひとと笑って喋るとか、あり得ない……!」・「毎日、あんなたくさんのひとに囲まれてアレもコレもすぐ応えなきゃならないとか、ムリムリムリ……!」と拒否感にも似た反応を示していましたが、これもまた、日々の「おしごと」をこなし、お客さんや職場の人々と「縁」を結ぶ彼女たちに対する羨ましさの表れとするのは、わたしの考え過ぎでしょうか。


後にヨハネが「あんな手伝いとか、別に私じゃなくったって出来ると思うんだけど」と語った通り、今回のエピソードにおいて彼女がこなした「おしごと」は、けして「私ヨハネにしか出来ない」ものではない。ちょっと意地悪な言い方をするなら「誰にでも出来る『おしごと』」です。ヨハネに「おしごと」を頼んだ人々も、もしかするとそれを頼む相手はヨハネでなくても良かったのかもしれない。さらに言うなら、それらの「おしごと」で得られる報酬も、けして大きなものではないでしょう。しかし、その「おしごと」を通じた交流によって、ヨハネと街の人々の間には確かに「縁」が出来たのです。その「縁」はきっと報酬と同じくらい、あるいはそれ以上に価値あるもの。それに気づいたからこそ、ヨハネは満足そうな笑みを浮かべたのだし、沈みゆく夕焼けも一層キレイなものとして彼女の瞳に映ったのでしょう。わたしには、そのように思えてくるのです。

(「幻日のヨハネ」第一話より)

そして、(完全に偶然の一致ではあるのでしょうが)この世界における通貨単位もまた「エン」なんですよね。


「おしごと」を通じて結ばれる「縁」。
それはヨハネが織りなす「物語」に、いかなる彩りを与えてくれるのでしょうか。

こぼれ話

今度は、私が「先導者」

ハナマル「マル、ヨハネちゃんをみんなのとこに連れて行こうと思って来たんだ!」
ヨハネ「えっ、『みんな』? 『連れて行く』?」
ハナマル「街で働いているみんなだよ。ヨハネちゃんのことを紹介したくて!」

かつてヨハネの歌と彼女が歌う姿に導かれ、「楽しいこと」を見つけることが出来たハナマル。そんな彼女が、今度はヨハネをチカやダイヤといったメインキャラクタたちと引き合わせ(これもまた、ひとつの「縁」なんですよね)、「おしごと」についての示唆も与える。「おしごと」に関して一日の長があるハナマルだからこそ成せる「先導者」の役割であると感じさせます。
さらに言うなら、「チカやダイヤとも『おしごと』を通じて知り合ったんだろうな」・「旅館にパンやお菓子を卸しているのかな」・「自営業となれば行政的な手続きも色々あるだろうしな」という想像が広がり、ストーリーにコクと奥行きが出てくるところでもあるんですよね。

個人的には後者の感覚のほうがやや勝るかもしれない

ヨハネ「報酬も払えないでしょ?」
子供たち「えっ……?」
ヨハネ「はい、帰って、帰って!」

「子供相手に大人げない」と見るべきか、「子供相手でもキッチリしている」と見るべきか。

こう言ってあげたほうが、ヨハネちゃん燃えるから

ライラプス「ぜーんぶあきらめて、ずっとここでゴロゴロしてようか。付き合うよ? そのほうがラクだしね」
ヨハネうるさいうるさいうるさいうるさい!」
ライラプス「それとも、こんな何もない街、今すぐ出ていっちゃおっか」
ヨハネ「……イヤだ」

「サンシャイン!!」における千歌と曜の「じゃあ、やめる?」・「やめない!」のやりとりを思い起こさせる。
「街を出ようか」という提案に対してヨハネが拒否感を示したことについて意外そうな響きを持つ返答を返していたことから、「ヨハネの気質を熟知しているがゆえのやり取り」かどうかについてはやや図りかねるところはありますが。

今回のここ好きポイント

ヨハネ「ふふふ……、私はこの街の占い師……。ああ、上手くいく予感しかない!」

ヨハネ「えーっと、お金が入ったら、まずトカイに戻って、ひろーいお部屋に住んで……」

どう見てもフラグです。ありがとうございました。

そして、この体たらくである。さすがに芸術点が高すぎる。
これに限らず、リコの占いを行うシーンやダイヤの言いつけを忘れて夜間外出をしてしまうシーンなど、今回のヨハネはフラグ建設に定評がありすぎる。あるいは、前世の不幸属性を受け継いでしまったのか……。




「おしごと」を通じて得られた確かな成功体験。それはきっと、ヨハネの心に前向きな変化をもたらしてくれたはず。第一話と比較して、彼女に明るい表情が増えてきたと感じるのも、きっと気のせいではないように思うのです。
しかし、そんな彼女に忍び寄るのは、見るからに怪しい黒い瘴気と明らかに様子がおかしい動物たち。さらには黒い瘴気に囚われ、身動きが取れなくなるヨハネ。万事休すと思われたそのとき、颯爽と現れたのは……、

チカ・シマ・ミト「ミリオンダラー、参上!」

トンチキだ! トンチキが来たぞッー!


幻日のヨハネ 第一話「はじまりのうた」感想 ~そしてまた、僕らは「先導者」と出会う~

皆様、こんにちは。
今年も残すところ半年となりましたが、進捗いかがですか。


元々はアニメ化の予定すらなかった「ニジガク」。そんな「ニジガク」が二期に渡るアニメ化やスピンオフ、劇場でのOVA公開を経て、ついには劇場三部作の制作決定にまで至りました。メインフィールドとしていた「スクスタ」は終了してしまいましたが、それでもなお広がりを見せ続ける彼女たちの世界と物語。感慨深さが出てくるところです。


それはそれとして、今度は「ラブライブ!サンシャイン!!」のスピンオフである「幻日のヨハネ」がはじまるのです。「サンシャイン!!」から本格的に「ラブライブ!」シリーズにハマり込んだわたしとしては、リアルタイムで彼女たちの物語に再び立ち会えるという幻日、もとい現実に嬉しさを感じてしまいます。
さて、「みんなが知ってるあの子の、みんなが知らない物語」は、一体どのようなものになるのでしょうか。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『幻日のヨハネ』第一話」からの引用です。



「先導者」、誰も知らない世界にて

「トカイでビッグになる」という夢を胸に故郷・ヌマヅを飛び出すも、ついぞその夢を叶えることが出来ず、不本意な帰郷を果たしたヨハネ。幼馴染であるハナマルは、彼女にこう尋ねました。

「歌手になる夢は、順調?」と。


このときのヨハネにとって、それは本当に「夢」と呼べるようなものだったのでしょうか。
「とてもじゃないが、疑わしい」。わたしには、そのように思えてくるのです。

ヨハネとハナマルが再会した場面において、ライラプスが興味深い指摘をしています。「ヨハネには『言い訳』グセがある」と。確かに、母親との電話でも、ヌマヅに帰ってきてからも、彼女は「言い訳」ばかり口にしていました。これらの「言い訳」が予告PVでも使われていることからも、ライラプスの指摘がけして的外れなものではないことを物語っているように思えてきます。そして、「歌手になる」という「夢」も(もしかしたら「トカイでビッグになる」という「夢」でさえも)、このときのヨハネにとってはヌマヅを飛び出すための「言い訳」に過ぎなかったのかもしれないとも感じられてくるのです。

先述した母親との電話においても、興味深いやりとりがあります。ヨハネが「一生懸命やった」と力説した路上での弾き語りは、実際のところ「四十八時間=二日間」しか続かなかったと。三日坊主にすらなっていません。アルバイトの面接に落ち続けたことについても「どこに行っても朝は九時からとか、週に三日は来てほしいとか言うし……!」と「言い訳」を並べ立て、挙句の果てには「のんびりする時間とか全然なくなっちゃうし……!」とまで宣うのです。「歌のレッスンをする時間」や「曲を作る時間」ではなく、よりによって「のんびりする時間」。こうなってくると、オーディションを受け続けるという行動も「地道な努力などではなく、一発逆転満塁ホームランを狙ったがためのアクション」とも思えてくるから不思議なものです。
確かに、「本当に叶えたい夢があるのなら、どんなに地道で辛いことだって耐えられるはずだ」という考え方は時代錯誤なマッチョ思想であるのかもしれません。しかし、「言い訳」に「言い訳」を重ねるヨハネの姿は「こいつ、本当に『夢』を叶えようとしているのか?」という疑念を抱かせるには十分に効果的な描写であるように、わたしには思えてくるのです。


それはそれとして、ヨハネはなぜ「言い訳」を使ってまでヌマヅを飛び出したのでしょうか。

ライラプスは語ります。「ヨハネはヌマヅが何もない街だったから、飛び出したんだもんね」と。
そして、ヨハネは語ります。「こんな小さな街で、小さな仕事をして終わる気はなかったの」と。

もしかしたら、彼女は「何もない街」の向こう側に「何もない自分」を幻視したのかもしれない。自分にしか出来ない楽しくてたまらないことも本気で叶えたいと思える夢も見つからず、平凡で何も起こらない日々を過ごす。そのようなつまらない(しかし、もしかしたらありえるかもしれない)未来図に、彼女は恐怖したのかもしれない。わたしには、このように思えてくるのです。切り株のステージにおける「どうせ私は、どこに行ってもダメなんだ……!」・「私にしか出来ない楽しいことなんて、どこを探したって見つからないのっ!」という独白からも、ヨハネが抱える恐怖の一端が垣間見えてくるように、わたしには感じられてくるのです。


しかし、ヨハネは「何もない自分」ではありませんでした。

切り株のステージを訪れたハナマルは、ヨハネに対して語ります。「マル、ヨハネちゃんの歌からすごいパワーをもらってたんだ!」と。楽しそうに歌うヨハネの姿が、ハナマルの胸に「自分も『楽しいこと』を見つけたい」という想いを芽生えさせた。ヨハネの歌が、ハナマルにお菓子作りという「楽しいこと」と出会うきっかけを与えた。ヨハネの存在が、前を向いて頑張るための勇気を与えてくれた。ヨハネはハナマルにとっての「先導者」となっていたのです。


そうです。ヨハネは「先導者」たりうる存在なのです。
わたしたちが今まで出会ってきた、数多のスクールアイドルたちのように。

こぼれ話

ハイファンタジー……?

「光景記」ではファンタジー要素はフレーバー程度にとどまり、「Unpolarized Reflexion」では第一話からスマホや草刈り機が飛び出すトンチキファンタジーが展開されていた「幻日のヨハネ」。しかしながらアニメ版においては、先行公開された予告PVやイントロダクションが「光景記」や「Unpolarized Reflexion」とは一味異なる本格的なハイファンタジーを想起させ、知らず知らずのうちにワクワクが高鳴ったものでした。

でしたが……、

ハイファンタジーかあ。
ハイファンタジーかあ……!


また、エピソード終盤においてヨハネが魔法の杖(仮)を手に入れて「やっぱり、私って特別だったんだ!」と狂喜乱舞するシーンがありましたが、この世界における魔法の立ち位置がどのようなものなのかという事前説明がほとんどされていない以上、「それってすごいことなの……?」と疑問符を浮かべながら観る羽目になったというところはあるんですよね。魔法が「ありふれた技術」なのか、「選ばれしものに与えられる奇跡」なのかによって、こちらの心構えも変わってくるんだよなあ……。

まあ、詳しい世界観説明を第二話以降に回すというのもよくあることです。気長に待つことにしましょうか。

それはそれとして、点字ブロックの存在がハイファンタジーな世界観において大いに場違いな印象を与えるという点については、思わぬ発見といった趣(おもむき)があるんですよね。

「光景記」や「Unpolarized Reflexion」では、全然素振りがなかったのに

ヨハネライラプス?!」
ライラプス「なぁに?」

「喋るライラプス」の衝撃があまりに強すぎて、事前情報があったかどうかすら思い出せない。もしかすると、現時点においては彼女の存在が一番のファンタジー要素かもしれない。
ついでに言うと、「ライラプスがメスだった」というのも地味に衝撃ポイント。

勲章は小麦とバターの香り

オーディションで連戦連敗し「不合格」ばかりもらっていたヨハネにとって、幼馴染からもらった「花丸」はどんなものにも勝る最高の賞賛に違いない。わたしにはそのように思えてくるのです。

今回のここ好きポイント

ライラプス「『後』なんかあるのかな……?」

ライラプス「ううん、上出来じゃない? 最後に『またね』って言えたし」

ヨハネがハナマルと顔を合わせる気がないことを見抜き、暗に非難するライラプスと、ハナマルとの再会を省みるヨハネを微笑ましく見守るライラプス
「対比的」は「効果的」。

今回のここ好きポイント その2

ヨハネ「でも二年ぶりだよ?」

ニネンブゥリデスカ。




「この世界は歌である」。
再び出会った彼女たちは、わたしたちに語りました。未知に満ち溢れた世界で集まり、重なり、奏でられる「音」は、はたしてどんな「音楽」になっていくのでしょうか。そして、織りなされる「音楽」は、はたしてどんな「物語」を観せて(あるいは、魅せて)くれるのでしょうか。

「新しい歌」が、はじまります。