幻日のヨハネ 第一話「はじまりのうた」感想 ~そしてまた、僕らは「先導者」と出会う~

皆様、こんにちは。
今年も残すところ半年となりましたが、進捗いかがですか。


元々はアニメ化の予定すらなかった「ニジガク」。そんな「ニジガク」が二期に渡るアニメ化やスピンオフ、劇場でのOVA公開を経て、ついには劇場三部作の制作決定にまで至りました。メインフィールドとしていた「スクスタ」は終了してしまいましたが、それでもなお広がりを見せ続ける彼女たちの世界と物語。感慨深さが出てくるところです。


それはそれとして、今度は「ラブライブ!サンシャイン!!」のスピンオフである「幻日のヨハネ」がはじまるのです。「サンシャイン!!」から本格的に「ラブライブ!」シリーズにハマり込んだわたしとしては、リアルタイムで彼女たちの物語に再び立ち会えるという幻日、もとい現実に嬉しさを感じてしまいます。
さて、「みんなが知ってるあの子の、みんなが知らない物語」は、一体どのようなものになるのでしょうか。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『幻日のヨハネ』第一話」からの引用です。



「先導者」、誰も知らない世界にて

「トカイでビッグになる」という夢を胸に故郷・ヌマヅを飛び出すも、ついぞその夢を叶えることが出来ず、不本意な帰郷を果たしたヨハネ。幼馴染であるハナマルは、彼女にこう尋ねました。

「歌手になる夢は、順調?」と。


このときのヨハネにとって、それは本当に「夢」と呼べるようなものだったのでしょうか。
「とてもじゃないが、疑わしい」。わたしには、そのように思えてくるのです。

ヨハネとハナマルが再会した場面において、ライラプスが興味深い指摘をしています。「ヨハネには『言い訳』グセがある」と。確かに、母親との電話でも、ヌマヅに帰ってきてからも、彼女は「言い訳」ばかり口にしていました。これらの「言い訳」が予告PVでも使われていることからも、ライラプスの指摘がけして的外れなものではないことを物語っているように思えてきます。そして、「歌手になる」という「夢」も(もしかしたら「トカイでビッグになる」という「夢」でさえも)、このときのヨハネにとってはヌマヅを飛び出すための「言い訳」に過ぎなかったのかもしれないとも感じられてくるのです。

先述した母親との電話においても、興味深いやりとりがあります。ヨハネが「一生懸命やった」と力説した路上での弾き語りは、実際のところ「四十八時間=二日間」しか続かなかったと。三日坊主にすらなっていません。アルバイトの面接に落ち続けたことについても「どこに行っても朝は九時からとか、週に三日は来てほしいとか言うし……!」と「言い訳」を並べ立て、挙句の果てには「のんびりする時間とか全然なくなっちゃうし……!」とまで宣うのです。「歌のレッスンをする時間」や「曲を作る時間」ではなく、よりによって「のんびりする時間」。こうなってくると、オーディションを受け続けるという行動も「地道な努力などではなく、一発逆転満塁ホームランを狙ったがためのアクション」とも思えてくるから不思議なものです。
確かに、「本当に叶えたい夢があるのなら、どんなに地道で辛いことだって耐えられるはずだ」という考え方は時代錯誤なマッチョ思想であるのかもしれません。しかし、「言い訳」に「言い訳」を重ねるヨハネの姿は「こいつ、本当に『夢』を叶えようとしているのか?」という疑念を抱かせるには十分に効果的な描写であるように、わたしには思えてくるのです。


それはそれとして、ヨハネはなぜ「言い訳」を使ってまでヌマヅを飛び出したのでしょうか。

ライラプスは語ります。「ヨハネはヌマヅが何もない街だったから、飛び出したんだもんね」と。
そして、ヨハネは語ります。「こんな小さな街で、小さな仕事をして終わる気はなかったの」と。

もしかしたら、彼女は「何もない街」の向こう側に「何もない自分」を幻視したのかもしれない。自分にしか出来ない楽しくてたまらないことも本気で叶えたいと思える夢も見つからず、平凡で何も起こらない日々を過ごす。そのようなつまらない(しかし、もしかしたらありえるかもしれない)未来図に、彼女は恐怖したのかもしれない。わたしには、このように思えてくるのです。切り株のステージにおける「どうせ私は、どこに行ってもダメなんだ……!」・「私にしか出来ない楽しいことなんて、どこを探したって見つからないのっ!」という独白からも、ヨハネが抱える恐怖の一端が垣間見えてくるように、わたしには感じられてくるのです。


しかし、ヨハネは「何もない自分」ではありませんでした。

切り株のステージを訪れたハナマルは、ヨハネに対して語ります。「マル、ヨハネちゃんの歌からすごいパワーをもらってたんだ!」と。楽しそうに歌うヨハネの姿が、ハナマルの胸に「自分も『楽しいこと』を見つけたい」という想いを芽生えさせた。ヨハネの歌が、ハナマルにお菓子作りという「楽しいこと」と出会うきっかけを与えた。ヨハネの存在が、前を向いて頑張るための勇気を与えてくれた。ヨハネはハナマルにとっての「先導者」となっていたのです。


そうです。ヨハネは「先導者」たりうる存在なのです。
わたしたちが今まで出会ってきた、数多のスクールアイドルたちのように。

こぼれ話

ハイファンタジー……?

「光景記」ではファンタジー要素はフレーバー程度にとどまり、「Unpolarized Reflexion」では第一話からスマホや草刈り機が飛び出すトンチキファンタジーが展開されていた「幻日のヨハネ」。しかしながらアニメ版においては、先行公開された予告PVやイントロダクションが「光景記」や「Unpolarized Reflexion」とは一味異なる本格的なハイファンタジーを想起させ、知らず知らずのうちにワクワクが高鳴ったものでした。

でしたが……、

ハイファンタジーかあ。
ハイファンタジーかあ……!


また、エピソード終盤においてヨハネが魔法の杖(仮)を手に入れて「やっぱり、私って特別だったんだ!」と狂喜乱舞するシーンがありましたが、この世界における魔法の立ち位置がどのようなものなのかという事前説明がほとんどされていない以上、「それってすごいことなの……?」と疑問符を浮かべながら観る羽目になったというところはあるんですよね。魔法が「ありふれた技術」なのか、「選ばれしものに与えられる奇跡」なのかによって、こちらの心構えも変わってくるんだよなあ……。

まあ、詳しい世界観説明を第二話以降に回すというのもよくあることです。気長に待つことにしましょうか。

それはそれとして、点字ブロックの存在がハイファンタジーな世界観において大いに場違いな印象を与えるという点については、思わぬ発見といった趣(おもむき)があるんですよね。

「光景記」や「Unpolarized Reflexion」では、全然素振りがなかったのに

ヨハネライラプス?!」
ライラプス「なぁに?」

「喋るライラプス」の衝撃があまりに強すぎて、事前情報があったかどうかすら思い出せない。もしかすると、現時点においては彼女の存在が一番のファンタジー要素かもしれない。
ついでに言うと、「ライラプスがメスだった」というのも地味に衝撃ポイント。

勲章は小麦とバターの香り

オーディションで連戦連敗し「不合格」ばかりもらっていたヨハネにとって、幼馴染からもらった「花丸」はどんなものにも勝る最高の賞賛に違いない。わたしにはそのように思えてくるのです。

今回のここ好きポイント

ライラプス「『後』なんかあるのかな……?」

ライラプス「ううん、上出来じゃない? 最後に『またね』って言えたし」

ヨハネがハナマルと顔を合わせる気がないことを見抜き、暗に非難するライラプスと、ハナマルとの再会を省みるヨハネを微笑ましく見守るライラプス
「対比的」は「効果的」。

今回のここ好きポイント その2

ヨハネ「でも二年ぶりだよ?」

ニネンブゥリデスカ。




「この世界は歌である」。
再び出会った彼女たちは、わたしたちに語りました。未知に満ち溢れた世界で集まり、重なり、奏でられる「音」は、はたしてどんな「音楽」になっていくのでしょうか。そして、織りなされる「音楽」は、はたしてどんな「物語」を観せて(あるいは、魅せて)くれるのでしょうか。

「新しい歌」が、はじまります。