ラブライブ!スーパースター!! 二期第十一話「夢」感想 ~広がる世界、変わってく景色もあるけど~

皆様、こんにちは。
今年も残り三ヶ月をきるところとなりましたが、進捗いかがですか。


すみれ「うわあ、おいしそー!」
(「ラブライブ!スーパースター!!」一期第二話より)

一年越しにこのネタが出てくるとは思っていなかった。もはや、懐かしさを感じてしまうところまであるんですよね。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『ラブライブ!スーパースター!! 二期』第十一話」からの引用です。



「選ばれる」ことは「背負う」こと

澁谷かのんは「背負わ」なければならない。
「物語」が、そう言っているような気がした。


澁谷かのんは、「選ばれた」。
ラブライブ!」東京大会、Liella!とウィーン・マルガレーテの直接対決。勝利の女神はLiella!に、そして澁谷かのんに微笑んだ。

それと同時に、澁谷かのんは「背負った」のである。

澁谷かのんが、これまで何も「背負って」いなかったということではない。
いつだって、澁谷かのんは「みんな」のために、スクールアイドルとして歌ってきた。仲間たちとの夢を、結ヶ丘の生徒たちの希望を、応援してくれるファンの期待を「背負って」、「ラブライブ!」に挑んできた。「みんなのために歌いたい」・「音楽でみんなを結びたい」・「応援してくれるみんなで勝利する喜びを分かち合いたい」という想いとともに、澁谷かのんはこれまで走り抜けてきた。
しかし、澁谷かのんが「背負わ」なければならないものは、それだけでは足りなかったのだ。

「背負って」いるのは、澁谷かのんだけではない。
ラブライブ!」に挑むスクールアイドルは、誰だって「背負って」いる。自らの夢を、誰かの希望を、みんなの期待を「背負って」ステージに立ち、そして歌う。彼女たちが「背負って」いるものは、本来なら大小も優劣もなく、等しく価値があるものだろう。
ラブライブ!」に挑むスクールアイドルは、誰だって「勝ちたい」と願ってステージに立つ。それが自らの夢だからというだけでなく、誰かの希望を、みんなの期待を「背負って」いるから。だからこそ、スクールアイドルはなおさら強く「勝ちたい」と願うのだろう。
しかし、彼女たちが挑むのは「ラブライブ!」。競技であり、勝負の世界だ。勝者と敗者が、そこには存在する。どんなに強く「勝ちたい」と願っても、勝利の栄光を掴み取ることが出来るのはたった一組のスクールアイドルなのだ。
勝者になるということは、他の誰かを敗者にするということ。その夢を、希望を、期待をすべて奪うということだ。だからこそ、勝者となった澁谷かのんは「背負わ」なければならない。彼女たちから奪ったものを、すべて「背負わ」なければならない。敗者となったスクールアイドルの、彼女たちに想いを託したひとたちの、夢を、希望を、期待を「背負わ」なければならない。すべてを「背負って」、「ラブライブ!」に挑まなければならない。澁谷かのんは、彼女が考えているよりも遥かに大きな「みんな」を「背負わ」なければならないのだ。
それこそが、勝者の責任なのだから。


澁谷かのんは、「選ばれた」。
ラブライブ!」東京大会を勝ち上がり、「ラブライブ!」優勝への思いをより一層強くする澁谷かのん。そんな彼女のもとに訪れたのは、世界最高峰と名高いウィーン国立音楽学校からの留学案内だった。それは「澁谷かのんの歌」が世界に認められたということと、イコールであると言ってもいいだろう。
澁谷かのんはその誘いを断る。「澁谷かのんの歌」と、結ヶ丘・スクールアイドル・「ラブライブ!」。今の澁谷かのんにとって、これらは切っても切り離せない関係となっている。結ヶ丘に来て、スクールアイドルや「ラブライブ!」と出会ったことによって、澁谷かのんは「敗北」の過去を乗り越え、「澁谷かのんの歌」を取り戻した。そして、「みんなのために歌いたい」・「音楽でみんなを結びたい」・「みんなで喜びを分かち合いたい」という新たな願いをその手に掴んだ。だからこそ、澁谷かのんは「『みんな』であること」にこだわり続ける。「『みんな』であること」を叶えるために、結ヶ丘に留まることを望む。「『みんな』であること」のために、結ヶ丘で歌いたいと願う。世界に羽ばたくのではなく、今いる場所=結ヶ丘こそが澁谷かのんのステージであり、「『みんな』であること」こそが澁谷かのんの歌う理由であると信じる。

しかし、「物語」は嵐 千砂都の声を借りながら、澁谷かのんに対して突きつける。澁谷かのんは、より高みを目指すべきなのだと。かつて彼女が夢見たように、世界を自らのステージとして「澁谷かのんの歌」を響かせるべきなのだと。澁谷かのんは、高みを目指すのにふさわしい実力を持っているのだから。世界中に「澁谷かのんの歌」を響かせるのにふさわしい実力を持っているのだから。そのような存在であると認められ、「選ばれた」のだから。
同時に「物語」は、澁谷かのんに対して告げている。澁谷かのんは知っているはずだと。「選ばれたい」と望んでも「選ばれる」ことのないものが大勢いることを(そう、ウィーン・マルガレーテのように!)。だからこそ、澁谷かのんは「背負わ」なければならない。「選ばれる」ことのなかったものの想いをすべて「背負って」、澁谷かのんは、彼女にとってふさわしい場所へと進まなければならないのだ。
それこそが、「選ばれた」ものの責任なのだから。


かつて、牢獄に囚われたニセモノの英雄は、同じく牢獄に囚われたニセモノの王様に告げた。「選ばれなかった奴はごちゃまんといる。選ばれたものには、その責任があるんじゃないのか?」と。ニセモノだったとしても、その王様は確かに「選ばれた」存在だった。

「選ばれた」ものであり「背負った」もの。そのような存在となった澁谷かのんの真価が試されている。
わたしには、そのように感じられるのだ。

こぼれ話

願わくは、その「夢」に救済を

ウィーン「言っとくけど、私の考えは変わらない! かのんがダメなら、自分の力だけで夢を叶えてみせる」

ウィーン・マルガレーテの敗北。彼女が「ラブライブ!」東京大会で敗北した理由は、かのんが語った通りなのでしょう。ウィーンの歌は、どこまでも「ひとり」だった。どれだけ技量に優れていようとも、「ひとり」の歌は「ラブライブ!」というステージにはふさわしくなかった。スクールアイドルだけでは「ラブライブ!」は成り立たない。応援してくれる「みんな」がいてこそ、スクールアイドルはステージ上で輝くことが出来る。「『みんな』であること」を大事にしてこそ、「ラブライブ!」の勝者たりうるのだと。
そのような観点から考えると、ウィーンの家族が「『ラブライブ!』優勝」を音楽学編入の条件にしたり、ウィーンに対して「かのんのもとで歌を学びなさい」と告げた理由も見えてくるように思えるのです。ウィーンの歌はどこまでも「ひとり」であり、「みんな」の存在が見えていない。たとえ、彼女がスクールアイドルでなかったとしても、音楽を志すものとして、ステージ上でライブパフォーマンスを行うものとして、それは致命的なウィークポイントになりうる。彼女の家族は、そう考えたのかもしれません。
しかし、今のウィーンは「みんな」の大切さを理解していない。だからこそ、結果発表の場で彼女は「この結果を認めない!」と咆哮し、「みんな」の大切さを理解するスクールアイドルたちやそのファンの顰蹙を買うことになったのでしょう(「ラブライブ!」東京大会前のリモート会見ではファンの大半が面白がっていたのに……、という気持ちが出てくるところはあるのですが、それはそれ、これはこれ)

「でも」。
わたしはそれでも、「でも」と思ってしまうのです。

ウィーンが彼女自身の「夢」に対してどこまでも真剣であったというのは、紛れもない真実なのではないでしょうか。ウィーンは彼女自身の「本当の歌」を信じ、ひたむきに、がむしゃらに、貪欲に「夢」を掴み取ろうとした。「ラブライブ!」を侮り、見下し、貶めるかのような彼女の言動に非難が浴びせられるのは致し方なしとは言えど、「夢」を掴み取るために、たったひとりで真っ向から「ラブライブ!」に挑もうとしたその想いは、否定されるべきではないだろう。わたしには、そのように感じられるのです。
そして、彼女が「夢」に対してどこまでも真剣であったからこそ、その想いは何らかのカタチで報われてほしい。そのように、わたしは思うのです。

追いかける「夢」の先で、ウィーンにとっての「希望って星」は輝いているのでしょうか。

なぜ、秋冬用練習着をデザインしてあげなかったのか


可可・恋・きな子・メイ・四季・夏美「はあー……」
すみれ「何、こたつ持ち込んでんのよ?!」

せめて、こたつを持ち込む前に、もう一枚着なさい。
「スーパースター!!」一期第十二話や二期第十話のときもそうだったんですけど、「この子たち、根本的に冬の寒さをナメているのでは……?」という気持ちも出てくるんですよね。

今回のここ好きポイント

千砂都「一年生が頑張ってくれたから、乗り越えられた!」
可可「頼もしかったですぅ!」
メイ「本当に!?」

「スーパースター!!」二期第六話では「Liella!の力になれないなら、スクールアイドルやるつもりはない」と言い放ち、二期第九話では「ラブライブ!」勝利にかけるすみれの想いを汲み取ってステージに立つことから身を引こうとしたメイ。そんな彼女にとって、千砂都や可可からの言葉、そしてネットニュースからの評判の声は何よりの称賛だったのだろうなと感じられるところはあります。

今回のここ好きポイント その2

理事長「ただ……、あなたがこの先も本気で歌の道を目指していきたいと思うのであれば、大きなチャンスであることは確かよ」

結ヶ丘の前身・神宮音楽学校の生徒だった理事長。つまり、彼女もまた音楽を志したことのあるひとなんですよね。それゆえに、この言葉もそれ相応の重みを感じさせるといったところがあります。




「『みんな』であること」にこだわり続けるLiella!を描いてきた「スーパースター!!」二期。そこで最後にお出ししてくるエピソードが「私を叶える物語」になるというのは、かなり意外に思ったところはあるんですよね。それまでのストーリーで「私を叶える物語」を描きながら、最終話で「みんなで叶える物語」へと収束させていった「スーパースター!!」一期との対照性を感じられて、なかなか興味深いところです。

かのんの「物語」と、Liella!の「物語」。ふたつの「物語」は、いかにして叶えられていくのでしょうか。